ちょっといつもと変わったことがあったから聞いてほしい。
タイトルの通りだけど、びっくりした。
電車で通勤の際、同じ車両で急にぶっ倒れた人がいたのだ。
最近仕事の都合で電車を使う機会が増えている。
今日もその電車を使う日だった。
早朝だったけどラッキーなことに席に座ることが出来た。
スマホでYouTube見ながらのんびりしていたんだけど、ちょっとした異変が起きた。
ビーっビーっつう明らかなアラート音がまあまあな音量で車両に鳴り響いたのだ。
誰かのケータイか?なんて一瞬思ったけど、どうやそういう感じでもない。
ちょっと周りを見渡して、周りの乗客の視線の先を見てみると、おばちゃんがドア付近でぶっ倒れていた。
ひとりのおっちゃんがザザっとそのおばちゃんに駆け寄る。
その時点でようやくぼんやりした自分でも気付いた。
急病人が出たのだ。
そのために電車の非常用SOSボタンが押されたのだ。
すぐに車掌さんがやってきて、対応にあたる。
この時点でおれにもやっとあたりを窺える余裕が出てきたので、周りを見渡した。
そんな驚くことじゃないのはわかってるんだけど、少しびっくりした。
ほとんどの乗客はもう急病人に関心をなくし、平常運転に戻っていた。
電車は急停止したままなのに。
人によっては「うぜえな、酔っ払いかよ」みたいに呟く人もいた。
最も印象的だったのは、その倒れたおばちゃんのすぐそばのサラリーマンが新聞を広げ直したそのうざそうな所作だった。
なんかその光景をうすら怖いと感じたけど、おれも次第に「まぁ、そんなもんか」と雰囲気の緩和を察知してスマホに視線を戻そうとした。
でも、最初にその急病人に駆け寄ったおっちゃんの姿が目に引っ掛かった。
そのおっちゃんは毒々しいド派手な色のパーカーを着た小汚い4,50代くらいの男で、正直「ちょっと近付くのやめとこう・・・」と判断するに十分なルックスをしていた。
たまに駅とかで見る、ちょっとヤバげな人っぽい。
でもそのおっちゃんは、真っ先のその急病人に駆け寄り、今もしゃがみ込んでそのおばちゃんを心配げに様子を見ている。
猛烈な羞恥心が襲った。
おれ何やってんの?みたいな感じだ。
そのおっちゃん近くにいただけやん、とか、おれ遠い位置の座席の奥側だったし・・・、とかだっせえ言いがすぐ浮かぶのが、もう本当かっこ悪い。
結局すぐに電車は動き出し、その倒れたおばちゃんは次の駅で無事救護のため降車した、意識は戻っているっぽかったので大丈夫だとは思う。
急病人に大事がなくてよかったよかった、で終わっていい話であることは確かだ。
でも、妙に落ち込んだ気分で今この文章を書いている。
・・・・。
ちょっと冷静になって考えてみた、あの時なんでそんなに羞恥心を感じたのか。
要は、冷めた反応をしたサラリーマンたちと「おれを一緒にしないで!」ってガキみたいに感じたからなんだろうな。
ほんとガキみてえ。
でも、何もしていないんだから一緒だ。
つまり、うざそうに新聞広げたリーマンに同族嫌悪を感じたのだ。
そして対比する様に真っ直ぐ急病人に駆け寄った派手パーカーおじさん。
派手パーカーおじさん凄い!ってこと言いたい訳でも、新聞リーマンおじさん酷いってこと言いたい訳でもない。
うーん、なんだろな。
実際体調不良の人が出て電車止まるなんてよくあることだ。
電車通勤に慣れたリーマンの人からしたら迷惑以外の何物でもないことは分かる。
でも、パリッとしたスーツ着た新聞リーマンおじさんは感じ悪くて一緒にして欲しくないって思った。
派手パーカーおじさんはそれなりに混雑している車内でデカいリュックを背中側に背負っていたことからも悪い意味で周りに配慮しない人なんだろう、でもこの一件では感じ良い人に見えた。
うーん、何が言いたいか分からんくなってきた。
でも、書いてみてちょっと気付いたことがある。
いつもなら、恥を感じて自己肯定感下げて終わるこの一件だが、「別に落ち込むことないんじゃね?」ってことだ。
派手パーカーおじさんすげえ!で結論づけた方がまだ合理的だな。
無理矢理自分に恥を感じる必要なんて今朝の一件には一ミリもなかったと、これ書いてる今なら振り返れる。
でも、派手パーカーおじさんの迷いの無い背中は「かっこいい!」と本気で思う。
そこは大事にしたいと思う。
そうだ、「そういうとこ大事にする」ってのを大事にするのが重要なんだ。
ガチャガチャ考えて勝手に自己肯定感下げるのよくないわな。
多分電車内で人が倒れることなんてこれから先ほぼ無いと思う。
でも電車じゃなくてもそのシチュエーションはあるかもだろうし、街中で困っている人なんて掃いて捨てるほどいる。
そういうシチュエーションに遭ったなら、派手パーカーおじさんの様に振る舞いたいもんだ。