自分の悪癖である「逆張り」について
日頃から感じている自身の悪癖について話したいから、よかったら聞いて欲しい。
「流行りものが好きになれない・・・」
「自分の好きなものが変わりやすい・・・」
「好きなものに変なフィルターをかけてしまう・・・」
かなり局所的だが、上記のような人は特に話を聞いて欲しい。
おれには、ガキの頃からの分かりやすい悪癖がある。
どう表現したものか難しいだけど、あえて名前をつけるのであれば「逆張り」である。
一言で言えば「好きなものが世間で流行りだすと、嫌いになる」という現象だ。
直近の例でいうと、「チェンソーマン」というマンガ・アニメがある。
オタク文化に明るい人であれば、「あ、あの超人気のアニメね!」とすぐに理解できるだろう。
先月くらいから放送されているアニメ作品の名前なのだが、おれの悪癖の「逆張り」の餌食になっている。
どういうことかというと、つまりおれはチェンソーマンが大好きだった。
作者の藤本タツキ先生の作品がまじで大好きで、2016年からのデビュー作の「ファイアパンチ」という作品からの大ファンだ。
ちなみにファイアパンチは物語が意味不明に暴走して終わり、世間の評価はボロクソだった。
でもそこがいい!なんていう風にこじらせオタクであるおれはそう思っていた。
そこから数年の時が経ち、チェンソーマンという新連載が大ヒットし、そしてアニメまで大ヒットしてしまった。
・・・・・・・。
ファンなんだから素直に喜べばいいのに、おれはこういう時、猛烈にやるせない気持ちになり、その作品がまともに見れなくなる。
本当に悪癖だ。
オタク話を長々申し訳ない。
要はこの漫画の例のように、好きなものが世間で流行りだすと、どういう訳か嫌いになってしまうのだ。
「好きなものは好きでいい!」
という大原則にして世の理を前提にした上で話す。
おれは「逆張り」から抜け出せないことが多いんだ、まじで抜け出したい。
別に病気じゃないんだから、と思って生きてきたけど、ある意味病気だなコレ。
・好きなバンドがインディーズからメジャーに行くと、興味がなくなる
・好きな芸人がブレイクすると、興味がなくなる
・好きなカフェが流行りだすと、興味がなくなる
うん、立派な病気じゃん。
やばいやばい。
なんというか世間の大多数のその他大勢の流れに乗っかってしまうのが、まじで嫌いなんだと思う。
我ながらほんとガキで狭量で社会で生きづらい人間だなぁとしみじみ感じるな。
世間は世間、自分は自分でいいじゃないか。
好きなもんは好きでいいじゃないか。
その方が人生楽しいじゃないか。
全くもってその通りで、本気でそうだと思う。
でも、おれは何故か本能的にそう思えないのだ。
生理的にと言い換えてもいい。
気持ち悪いけどしっくりくるイメージがある。
気になっていた憧れの清楚な女性が、ケバくチャラくなって世間からちやほやされる、この感じだ。
ちょっと話題から逸れるかもしれないが、「逆張りオタク」というネットスラングがある。
世間の風潮を常に斜めから見て、逆説を唱える厄介なオタクどものことだ。
分かりやすい例だと、タピオカが爆発的に流行していた時期に、
「へっ、タピオカ?太るし、たいして美味くねーし、世間は馬鹿ですぜ!」
なんてことを得意げに主張する馬鹿どものことだ。
中身なんて関係ない、マイノリティーであることに価値を感じているオタクだ。
・・・おれのことじゃん。
おれ、「逆張りオタク」やんけ・・・!
なおのこと、この「逆張り」から脱却したい。
逆張りオタクや逆張りおじさんから、脱却したい。
どうすればいいんだ?
ちなみにこの文章を書きながら、本気で今考え中だ。
・・・。
まず、なんでおれが世間の流行りと被るのがイヤなのか、という点をハッキリさせることが突破口なのかもしれん。
ちょっと考えてみたんだけど、やっぱり世間のその他大勢の意志と自身の意志が混在してしまうような感覚に陥ってしまうことが原因なのかもしれない。
別に混在なんてしないし、仮に混じったところで何も変わらない、・・・というのは分かっているんだけど、悪癖が顔を出してしまう。
世間、というか他人を気にし過ぎであることは確かだ。
おれが大っ嫌いなもっとも避けたい行為が「世間の目を気にし過ぎる」なのに、それを地でいってるのは我ながらまじで馬鹿だ。
矛盾しているよな、明らか。
そういえば昨日サッカーワールドカップの試合があった。
普段サッカーに興味ないのに騒ぎまくるミーハーをどちらかというと見下していたが、4年前のワールドカップでおれは渋谷のスポーツバーでミーハー丸出しの応援をしていたことを思い出した。
矛盾というか、一貫性がなさ過ぎて病気だよな。
でも、「他人の眼を気にしない方が良い」という点は、間違いなく真実だと思う。
おれのような意志の弱い人間ならなおさらだ。
毎度ながらゴチャゴチャして話をどう畳めばいいか分からなくなってきたので、強引に幕を引こう。
とにかく「逆張り」という悪癖を克服して、胸張って「これが好きやねん!」と言えるようになりたいってことなんだな。
そして、そのためにはやはり「世間の目を気にしない」ことと「自分の好きを大切にすること」の2点が大切なんだと思う。
先週くらいに趣味を土台に似たようなことを話したが、本当に大切なことだ。
そうだ、今思いついたけど、今度「チェンソーマン」のレビュー記事書いてみよう。
逆張りオタク克服の良いトレーニングになるかもしれん。
結局アウトプットして、自分を納得させるのが一番近道な気がする。
結論がふわふわしてて申し訳ない。
でも、この悪癖を抑え込んで人生楽しみたい!と自分が思っていることに気付けただけで、大収穫だと思うようにしよう。
【追記】
「自身の本心を文章にする」という点ではこの記事はOKかも知れないけど、いち記事としてはあんまり良くない気がする。
最低でも大まかな結論を決めてから書くべきだと、今読み直して感じている。
風呂敷広げるだけ広げて、着地点わからなくてワタワタすんのはダメだ、最低限ちゃんとしよう。
丁寧に文章書いてたらダルくなって、気楽に書いたら日記以下の文章になる。
本当にままならない感じが歯痒いけど、自分なりの書き方を見つけよう、結構楽しかったりする。
繰り返しになるが、気づけただけでも大収穫だ。
鳴かぬなら、それでええやんホトトギス。
しんたろさんはすごく自分と向き合う努力をしているんですね。それをスペさんが「人間は複雑な生き物である」と生暖かく見守っている姿を想像しています。その後ろ姿は非常にかわいいです。
くろさん、コメントありがとうございます!
とても励みになります。