メンタルヘルス

【メンタルヘルス】死にたいほど辛い社会人に、読んで欲しい〜絶対に心が楽になる〜

社会人の方へ、明日会社に行くの辛くないですか?

この記事は、生きていることが辛い社会人の心を軽くする目的で書いています。

普段、自分は猫に関する記事を書いている。

一緒に暮らしている猫のスペに普段の俺の知識や考え方などを持たせて好きに喋って貰い、猫飼い初心者のしんたろ(俺の下の名前だ)と言うキャラクターに対応させることで何とか無理矢理成立させて少数の方々に読んで貰っている。

でも今回は少しいつもと雰囲気の違う書き方をしている。

タイトルにも書いたようにあまり明るい気分の良い話じゃない。

いつかこういった人の役に立つメンタルケアの話を記事にしたいと考えていたけど、まだ先だと勝手に思い込んでいた。

でも今俺は突然思い立ってこの記事を書いている、真夜中だからかなり衝動的で感情に任せた恥ずかしい文章だろう。

恐らく数日後昼間の白面の俺が恥ずかしくなってこの記事は消去する可能性が高いけれど、死にたいくらい辛い人の悲しい気持ちをほんの僅かでも軽くできるのでは無いかとふと思って今キーボードを叩いている。

こんなダラダラしたリード文で申し訳ないのでさっさと誰に何の話を聞いて貰いたいかはっきりさせることにする。

・会社に行くのが辛すぎて、死にたいと思っている社会人。

特に話を聞いて欲しい人は上記の様な辛い気持ちの社会人だ、自分がそうだったから。

色んな悩みを抱えて死にたいとマジで呟いてしまうぐらい辛い状況にいる人は沢山いると思うけれど、自分は特に会社がストレッサーになっている人間に気持ちを楽になって貰いたいと本当に思っている。

この話を読んでくれた人は、きっと気持ちが楽になる。絶対なれる。

この記事を投稿するにあたって、これだけは約束できる。

生きる希望だとか、心の支えだ、新卒はまずは3年我慢だの、チープでうぜえ耳障りの良いことは言わない。

世に溢れているメンタル系の啓発本に書いてあるような専門性の高い情報はほぼ出てこないい。

文字ばっかりで読みづらくもあるだろう。

でも、読んでくれる貴方が死にたいほど今辛くて、どうにかして苦しみから逃れたい一心でこのサイトまで流れて来たなら、話を聞いてくれた後絶対に少しでもその辛い気持ちは軽くなる。

辛い気持ちを楽にする、この記事は本当にそれだけだ。

下には下がいる

まず自分の経歴を話させて欲しい。

この手の自分語りは書いている方に熱意があっても、読み手には低温度で伝わることを知っている

俺もそのクチだし、他人様のどうでもいい経歴は正直出来るなら聞きたくない。

大概が鼻に付くことばかりだからだ。

でも俺の惨めな人生の片鱗を知って貰うことで、読み手である貴方より低い位置にいる、もしくは弱い人とカテゴライズされちゃうような人間だ、ということを肌で感じて貰うことでこの記事の呑み込みやすさが変わってくる。

書いていて改めて思ったが、何ともいやらしいアプローチだ。

しかしながら自分は間違っても出来た人間では無いので、能力の高い幸福が服を着て歩いている様な人間の発言を参考にして勉強することはあっても、共感はしない。と言うか出来ない。

下には下がいる。

恐ろしく後ろ向きで、気持ちの良い言葉では無いけれども、俺みたいな人間は下を見て気持ちが楽なる場面は多かったりする。

上ばっかり見てると首が痛くなる人種だ。

だからそんな気持ちで楽に聞いて欲しい。

「苦しい気持ちを軽くする」この記事をより効果的に感じ取りたい人は、俺の経歴話にお付き合い頂くことをお勧めする。

勿論どうでもいい話であることに変わりは無いので、読み飛ばして貰って全く問題は無い。

経歴(読み飛ばしOK)

学生時代

辛い社畜時代にフォーカスして話したいので学生の頃はさっくり話そうと思う。

とはいえ俺にとって学生時代から失敗続きの辛い時期ではあった。

義務教育時は大して意味もなく学校が嫌になってよくズル休みを続けていた、それぐらい団体行動が苦手で社交性に欠けていた。

ひどい時なんか親に学校へ行くポーズだけ見せておいて学校へ行かず(ランドセルは当時住んでいたアパートのボロ倉庫に隠していた)、市立図書館で見つからないように丸まってファンタジー小説を読んでいたものだ。

それでも何とか大学卒業までは漕ぎ着けた。

両親や教師の方々の尽力のおかげだ(義理半分本音半分だ)。

とはいえ大学は馬鹿がたたって留年したし、分不相応な大学院試験も無事落ちて、就活も散々な結果だった。

そんな自分にもありがたいことに拾ってくれる企業が1社だけいた。

でも何をトチ狂ったか、俺は就職せずに東京に再進学という道を選んでしまう。

話が少し逸れるかもしれないが、俺の好きな少年漫画スラムダンクのエピソードを紹介させて欲しい。

作中のキャラクターが日本の大学のバスケ部に嫌気が差してバスケットの本場NBAに憧れて無計画にも渡米し、現実に打ちのめされて薬物に走り、最後は事故で他界してしまうという辛辣なエピソードだ。

このキャラクターはアメリカというバスケットの聖地で揉まれることで自動的に訪れる自身の輝かしい成長を期待したのだろう。

そんなキャラクターに対して「現実見えてねーなコイツ」と幼少の頃から冷めた目で見ていた自分もほぼ同じ思考回路で動く現実が見えていない馬鹿であった。

田舎者の俺は東京に行くことで何か成長できると過度な期待を抱いていた。

当時の自分なりに必死に考えて出した答えではあったが、それでも浅慮で準備不足で見切り発車だった。

大学生活を過ごす中で音楽や舞台に強い関心を持ったので、その舞台の裏方になるべくその分野の専門学校に再進学することになった。

当然お金がなかったので地元で1年間フリーターとして生きることで学費を蓄えた、年齢ばかり嵩んでいく。

こうして東京という炎に特攻する馬鹿な蛾の出来上がりだ。

実際この先、分かりやすく燃え尽きることになる。

東京での専門学校生活は特筆することもなく順調に進んでいった。

順調というかぬるま湯のような薄ら楽しい生活だったように思い返せる。

あっという間に2年が経ち、卒業と同時に就職する段になった。

若い時分であった学生生活はそれなりに苦痛なことも多かったが、社会人のそれは学生時代を軽く上回ることになる。

社畜時代

晴れて社会人となった。

コンサートやテレビ局の裏方を生業とする会社で、自分の希望する業界だ。

正直言って、その時は自分が誇らしかった。

テレビ局のスタジオやコンサートホールやアリーナへ向かう自分はサラリーマンより充実していると思い込んでいた。

テレビの中の芸能人や有名なアーティスト、トップクラスのオケの方々と一緒に仕事ができる自分はイケていると勘違いしていた。

でも、そんなことは勿論ただの幻想で、コバンザメのような他人ありきの生き方だった。

光に群がる蛾みたいだ。

1年目はとにかくガムシャラに働いた。

他に会社の比較対象が無かったことや、仕事そのものの新鮮さで乗り切れたように思う。

新しい仕事、新しい環境、新しい生活、悪い意味で希望を見出してしまっていた。

異変らしい異変が顕著に現れ始めた時期が、入社2年目の頃だった。

「仕事に行きたくない」

とにかく毎朝毎晩そう思うようになった。

当時は辛すぎて言語化できるほど整理出来なかったが、様々な理由があったように思う。

・とにかく忙し過ぎる。

ブラック企業あるあるかもしれないが、月残業100時間や1ヶ月連勤など本当にザラな世界だった。

「この業界は特別だから忙しいんだよ、そういうもんだから」会社の誰かがこんなこと言ってたっけな。

始発より早く、終電より遅いタクシーでの送迎の日々が続いた。

後から気づいた、というか知ったことだけど、帰宅せずに会社の倉庫や局の仮眠室で睡眠時間を捻出することは一般的じゃ無かったようだ。

でも、俺にとってはそれが日常になっていた。

辛くて、眠くて、15分でもいいから多く眠りたかった。

・人間関係が上手くいかない。

学生時代もそうだったけれど、それ以上に人間関係のストレスが大きくなっていた。

世間話が大嫌いになり、人の目を見ることが出来なくなっていた。

多くの人に罵倒され、また罵倒されるかもという思いから、どんどん口数は減っていった。

現場終わりの飲み会は勿論強制参加で、下っ端に途中退席は許されない。

無事飲み会も大嫌いになった。

でも、俺は「これも仕事だから」と自分に嘘をついて飲み会が好きだと思い込ませることでなんとか自我を保っていた。

・仕事でミスばかりで、怒られたくない。

人から怒られたくなかった、傷付くことが当たり前という現状が本当に嫌だった。

でもミスばかりで、罵倒は日常茶飯事だった。

「怒られたくないっていう姑息な気持ちが透けて見えんだよ、プライド高えな愚図なのに」

いつだったか上司に言われた言葉だ、今も覚えている。

当時の俺はその通りだと思った、能力が低いくせにプライドを持つな、と自分のことなのにそう思った。

現場で人間扱いしてもらえない、と被害妄想じみた考えを持ち始めていた。

・惨めな自分をどんどん嫌いになっていく。

社会人になって一番の変化は、自分が大嫌いになっていったことだった。

子供の頃から自分自身のことは好きじゃなかった、別の人間に変わりたいと良く思っていた。

でもこの時はそんなレベルではなく、呆れるくらい自分が嫌いになっていた。

「惨め」という言葉がぴったりの自分、本当のほんとに嫌になっていた。

自殺という言葉が妙に身近に感じ始めたのは、この頃からだったのかも。

それでもなんとか毎日逃げるように仕事をして、3年目に突入した。

辛い気持ちは増す一方で、毎日苦しかった。

「早くまともにならねーと」

漫画みたいだけど、家でこんな独り言ばかりを呟くようになっていた。

自分はまともじゃなくて愚図で馬鹿で、早く脱却しないと太陽の下を胸張って歩けないと本気で思っていた。

「オマケの人生だし、しょーがねえよ」

これもよく呟いていたことだ、気持ち悪いな。

好きな漫画のキャラが「自分はA級政治犯だから、オマケの人生楽しむか」と言っていたのを真似していたんだと思う。

ちょっとだけ、気持ちが楽になったから。

どんどんボロボロになっていた。

そんなだから私生活もボロボロになっていた。

結婚は勿論、恋人もロクに出来なかった。

仕事のせいにすることで自身の魅力の無さを棚上げ出来て、ある意味都合が良かったのかもしれない。

美味しくもないストロング系酎ハイを喉に流し込んで逃げるように眠る、酒の量が増えてきたのもこの時期だ。

しかしながら、ありがたいことに愚痴を聞いてくれる数少ない友人がいてくれたおかげで当時はだいぶガス抜きが出来ていたと思う、本当にありがたかった。

お陰で様で、仕事を始めて3年が経った。

4年目突入の頃、ある転機となることが起きた。

珍しくもない連日泊まりがけの仕事だった。

アリーナで行われるよく分からない声優さんたちの大型のイベントの仕事だ。

初日の仕込みを終えていつものようにチームで飲みにいくことになる、勿論嫌だったが逃げようがない。

人間の脳みそはあまりに辛いことがあると自動的に記憶を封印するという、嘘くせえと思っていたけど本当のことだった、実体験することになったから。

内容は本当に覚えてないし、思い出したくもない。

とにかくその飲みの場で俺は上司たちからボッコボコに罵倒された。

その日は特にミスらしいミスはしておらず、安心していた。

でもそんなことは些事だったようで、自分以外のほぼ全員からシンドイ言葉をたくさんぶつけられた。

その飲みの席では他社のチームとも合同で飲んでいたのだが、その人たちも俺のことを嘲笑し楽しそうに笑っていたことがとても印象的だった。

書いていて本当に気分が悪いけど、さっさと書いてしまおう。

流石に2軒目には同行できないと思い、ホテルに直帰する旨を店の前で伝えた。

「いや、1軒目で帰るのお前じゃねーだろw」と嘲り笑われた、他社の今日初めて会った人たちも俺を指差して笑っていた。

ヘラヘラと笑いながら俺はその場を立ち去り、近くのコンビニで買った水を猫背で飲みながらアパホテルへと歩き出す。

どういう思考プロセスでそう思ったか分からない、でもその時「会社を辞める」ことが揺るがない決定事項になった。

ガキみてえにベソベソ半泣きになりながらホテルへ帰り、ベッドに入る、眠れない。

ああ、ガチでカッコわりい、ほんとに。

数時間後、電車が動き出す時間の少し前にチェックアウトして、アリーナの自分のチームの仕事場スペースに社員証を置いて、文字通りその場から俺は逃げ出した。

いわゆるバックレというやつだ、社会人として絶対にやってはいけないタブーだ。

自分の抜けた穴のせいで大勢の人の迷惑を生む、最悪の行為だ。

でも、自分はそうするしかなかった。

死にたいほど辛い自分を守るために、そうしたのだ。

海外逃亡時代

会社を辞めた。

無断欠勤ならぬ無断退社だ、社会人失格だ。

しんど過ぎてあまり覚えていないが、鬼のようにスマホが鳴り続け、俺は震えながらスマホから目を逸らす。

それでも後日、震える声で上司と連絡を取り、正式に退職することになった。

必要書類や保険証の返却の話を終え、電話を終える。

コンプライアンスを気にしてのことだろうが、先方はあまり攻撃的な口調では無かった。

自殺とかしてうちの会社に迷惑かけんなよ、もう関わるなって感じだと思う。

1週間くらい生産的なことを何もせずに過ごした。

好きなだけ眠り、ぼーっと過ごした。

分かりやすい慰安として、温泉街に泊まりに行ってのんびりした、小田原温泉だったかな。

両親にも会いに行った、理解のある両親で特に厳しいことを言わずに純粋に俺のことを心配してくれた。

申し訳なさでまともに両親の顔を見れなかったけど、優しさが身に染みる。

数少ない友人にも会ったりして、ほんの少しずつ未来のことを考える気力が戻ってきた。

ちょっとした変化が生まれていた。

仕事という最大最強のストレッサーがなくなったんだから当然だけれども、心と体が随分楽になっていた。

その反動で仕事に関わる全てのものを直視出来なくなっていた。

俺が働いていた局のテレビのチャンネルは見ることが出来なくなった。

担当していたニュースやバラエティ番組に出ている芸能人たちがテレビやネットに映ると嫌な汗が流れるようになった。

ツアー同行していたアーティストやアイドルの曲が街中のどこかで流れると、馬鹿みたいに動悸が早くなって手が震えてしまう。

ああ、我ながらイタイやつだ。

大きな笑い声が嫌いにもなっていた、コンビニの店員さんの目も見れない。

こういういかにもな分かりやすい症状は自分には無縁だと思い込んでいたけど、そうじゃ無かったみたい。

気付いたら、俺は昔の自分からすっかり変わってしまっていた。

それでも、休めばいくばくかは回復するものだ。

「せっかくだしバックパッカーになって海外見て回ろう」

こんなことを考えられるくらいには、心が回復していた。

旅行が好きだったことと、日本に居たくないという気持ちがそうさせたんだと思う。

3年間馬車馬のように働いたお陰で少しばかり蓄えはある。

1ヶ月ほどインドにでも旅に出ようと考えていた。

当然、インド語も英語も喋れる訳はない。

中学生の頃、英検3級を2回連続で落ちたくらい馴染みが無い。

でもなんでもよかった、ある意味ヤケクソみたいな感じ。

汚い日本と格好悪い自分を直視したくなくて、どこか違う場所で息をしたかった。

全く、スラムダンクの矢沢の件から何も成長していない、俺は頭が悪い。

ワーキングホリデーって知ってる?」

電話で母親からこんなことを言われた。

勿論知らない単語だ。

どうやらビザの一種で、1年間の期限付きで認可の国での滞在及び労働を許可してくれるというありがたいビザだった。

そもそも普通のビザでは海外に長期滞在することも仕事をしてお金を稼ぐこともできないそうなのだ、知らなかったな。

そんなこんなで気付いたらインドへの小旅行が、ニュージーランドでの1年以上の海外生活へとプラン変更になった。

自然あふれるニュージーランドでゆっくりするのもアリかな、なんてほぼ思考ゼロで決めた国だ。

ロードオブザリングのロケ地巡りもしたかったし、キャンプ大国としても有名なその国は妙に目を引いた。

国の大きさは日本とさほど変わらないのに、国の全人口が東京の全人口より少ないのもなんか可笑しくてとても惹かれたんだ。

とんとん拍子で準備は進み、会社を辞めて2ヶ月後には日本から逃げ出すことになった。

海外での生活の様子を書いていたら1記事丸々出来上がってしまいそうなので、割愛する。

世間から見れば寄り道でしかない人生の無駄遣いなんだろうけど、自分には絶対に必要な道草だったと確信している。

楽しいことばかりじゃ無かったけれど、とてもとても非常に実に、充実した日々だった。

フィリピンでの数ヶ月の語学勉強、ビザ延長して1年半ほど滞在したニュージーランド。

日本に戻ってきた時には2年近くの時間が過ぎていた。

今では常識だけど、みんなマスク着けていてビックリしたっけな。

関西にて再就職時代

帰国して再就職することになった。

舞台関係の仕事で、前職のスキルを活かせる仕事だ。

前職を辞めた時は絶対に2度と業界に関わる仕事はしないと心に誓ったものだが、心境なんて変わるもんだ。

海外生活の中で、仕事が嫌いになっただけで音楽や舞台は好きでいても良いんだという当たり前のことに気付いたから。

関西で新しい生活が始まった。

でも上手くいかないことばかりだ。

海外での生活を活かして無事社会復帰出来ました、めでたしめでたし、とならないのがまさにグズグズな俺だなって感じ。

そこからも色々と苦労した。

その頃はいい加減自分というポンコツロボットの操縦の仕方を心得始めていた。

一人でいることが好きで団体行動が苦手、そういった根暗な一面を受け入れることが出来ていたので、新しい職場では自然体に寡黙でいることを徹底した。

ある意味それは成功し、「あいつは暗い無口キャラ」という職場でのイメージを得ることができた。

喋りたくもないことは喋りたくなかった。

仕事とそれに関わるコミュニケーションをしっかりと徹底すれば会社の歯車になれると思っていたが、そんな簡単な甘い話ではなかったようだった。

仕事の出来以前に根暗な人間は、やはり場の和を乱してしまうらしい。

分かりやすく浮いた存在になってしまった。

周りに合わせず自然体でいる分気持ちは楽だったが、その周りの目が無駄に気になり、それが新たなストレスとなっていった。

でも、ここからが今までと違う展開だった。

俺は自分の気持ちが楽になるための行動に、一切の躊躇が無くなっていた。

地味だけど、とても良い変化だと思う。

今までのありがたい大量のカッコ悪い失敗が俺を支えて、ケツを叩いてくれる。

自分を助けるための努力は、全く苦じゃなかった。

まずは本を読み漁った。

本屋に溢れかえっている「メンタルヘルス」「心のコントロール」「うつ病の対処法」とかそういう精神系の啓発本だ。

メンタルクリニックにも行ってみた。

精神疾患者というあまりイメージの良くないワードが頭をよぎったが、自身を助けることに対してあまりに些細なことだ。

後述するが、メンタルクリニックは相当に効果的な場所だった。

今だって通院を続けている、素晴らしい発見である。

もうひとつ生活がひっくり返るほど激変することがあった。

猫を飼い始めたのだ。

動物保護活動をしている知り合いから、縁があって捨て猫の子猫を譲り受けて里親になった。

ピンとこないかもしれないが、本当にこの猫に人生を救って貰っている。

俺は子供の頃から動物が大好きで一緒に暮らしたいと本当に強く思っていた、よくペット飼いたいと駄々をこねて両親を困らせたものだ。

嘘くさい話だが、この気持ちを今の今まで忘れてしまっていたのだ。

ずっと長い間自分の気持ちをシカトし続けた結果、自分自身の気持ちが分からなくなっていたのだ。

作り話みたいだと俺も思うけど、本当にそうでめちゃくちゃ驚いたものだった。

とはいえ、死にたいくらい辛い人たちに「猫を飼え」といっても「そんな場合じゃない」という答えが返ってくるだろう、当然だ。

しかし猫を飼うことは「気持ちを穏やかにする」最善の方法だと確信している。

このブログサイトには猫に関する記事があるので、もし興味があったら読んで欲しい、絶対に損は無い。

申し訳無い、話が逸れてしまったので、戻そう。

なんやかんや、自分と自分以外の存在の尽力のおかげで、俺のストレスは少しずつ減っていった。

相変わらず仕事に行くのは嫌だが、死にたい気持ちは無くなってくれた。

出勤直前でも、穏やかな気持ちで外を眺めながらコーヒーを飲めるくらいにはなった。

格好悪くて無様で情けない自分だけど、「それが自分だし、まあ良いかなあ」なんて受け入れることが出来た。

「人生最高!」なんてことは口が裂けても言えないが、「死ぬほどでもね〜な」と笑いながら肩の力を抜いて穏やかに生きることが、今現在出来ている。

自分の気持ちを軽くするためにジタバタすることに抵抗がほとんど無くなった。

一時は自殺すら考えていたのに、社会不適合者なりになんとか生き残っている自分を、少しだけだが褒めてやりたい。

ああ、何が言いたいのか分からなくなってきた、自慢話の自分語りがしたいんじゃない。

さっさと俺のしょうもない経歴語りを畳むことにする。

兎にも角にも、俺は今穏やかに生きている。

この世で一番大切なことは「自分の気持ちが穏やかに楽でいること」だとマジのガチで本気で心の底から忖度無しで、そう確信しているからだ。

辛い気持ちを楽にする4つの方法

長々と自分語りをしてしまった、お付き合い頂いた方はありがとう。

さて、いよいよ本筋である「どうすれば気持ちが楽になるのか」ということについて話していこうと思う。

等身大の自分でいるべきだとか、自分に素直にだの、ありがたい言葉が世に溢れている。

ポジティブな言葉は好きだが、具体性に欠けるフワッとした助言はあまり好きではない。

具体性に欠ける、という点が最もキライだ。

なので具体的に4つのステップで気持ちを楽にする方法を紹介していく。

どれも大切だが、ステップが進むほど有用性が高い方法となっている。

会社を休み、たっぷり眠る

まずは明日の仕事を休み、死ぬほど睡眠を取って欲しい。

いやいや会社休めないからこんなに辛いんだよという貴方の気持ちは痛いほど分かる、自分もそう思う。

でもそれでも休んで欲しい。

仮病でズル休みで大いに結構。

大丈夫、貴方以外誰も分からない。

憎いコロナウイルスだが、おかげで比較的病欠が認められやすい世間になっている。

①バカ早い時間の早朝に、上司に欠勤の旨の連絡をする。メールでもLINEでもいい。

②身体が健康だったとしても病院へ行き、診察を受け診断書を書いて貰う。お医者先生は何も言わず、職務を全うしてくれる。

③後は何も考えず寝まくる。

チャートにすると阿呆らしさが増すが、是非やってみて欲しい。

俺は社畜時代、休みが少なくて、とにかく好きなだけ眠りたかった。

心の余裕が無いことと睡眠不足は無関係の別物だと思い込んでいた。

・睡眠が足りない。

・身体が疲弊する。

・思考する力が弱る。

・精神状態に気が回らなくなる。

・辛い気持ちが生まれる。

単純だけれども、本当にこの通りなんだ。

嘘臭えけれども、本当に健全な精神は健全な身体にしか宿らない。

だからまず、貴方はたっぷり眠るべきだ。

大丈夫、身体が楽になれば絶対に気持ちも楽になる。

誰かに相談する

もうやってるよっていう人は飛ばして貰って構わない。

他者に悩みを相談することの有用さはこの際割愛する、言われなくても分かっているという感じだろう。

でも、相談できる人が周りにいなくて自分の中に溜め込んでいる人は割と多かったりする、自分もそうだ。

俺は社交性に欠けていて顔が狭い、友人は片手で数えるくらいしかいないし、信頼できるメンターも居ない。

なので俺は相談のハードルを下げることで友人や家族などに話を聞いてもらう機会を増やしたのだ。

どういうことかというと、自分のしょーーもないプライドや恥を捨てることで、相談できる人を増やすということだ。

仲の良い友人に自分の弱みは見せたくない、恋人や妻・夫に格好悪いところを見せたくない、家族に心配されたくない。

そんな気持ちを勇気を持ってゴミ箱に捨ててみて欲しい、きっと相談が楽になる。

酷いことを言うようだけれども、貴方の悩みや苦痛は重大なことでも貴方のプライドや恥は本当に重要度は低い。

誰かに悩みを話すだけで、貴方の気持ちは絶対楽になる。

解決しなくても進展しなくても、きっと楽になる。

だから勇気を持って、誰かに弱みを晒してみて欲しい。

メンタルクリニックを利用する

心療内科、心の病院、いろんな呼び方がある。

これらは自分と全く無縁の世界だと思っている人は本当に多い。

俺もそう思っていた、そういうのはガチの鬱病とかの人たちのためのものだと。

軽い鬱病予備軍の人たちにこそ、メンタルクリニックを利用して欲しい!

心が疲れている、会社行きたくない、人と会いたくない。

そんな人たちは、「気軽」に心療内科を利用することを俺は強く薦める。

特に自分はそこまで重症じゃないよって思っている人にこそ利用して欲しい。

怪しげなカウンセリングだったり、依存性のある薬だったり、なんだか悪いイメージが先行していることを分かっているつもりだ。

でも通院することで、俺の中のメンタルクリニックのイメージはガラッと変化した。

押し付けがましい説教もないし、内服を強制されることもない。

心の整体に近いニュアンスだ、心のマッサージみたいなものだと俺は思う。

通院していると分かるが、実に多くの人たちが利用している。

みんな心が疲れているんだ。

悩みとは無縁そうな容姿の優れた人や裕福そうな人、若者も年配の人もいる。

しかし今の日本ではメンタルクリニックの敷居が高いことは否めない、精神科患者というレッテルが持つ妙なイメージが邪魔している。

それが本当に勿体無い。

是非、勇気を持って利用してみて欲しい。

今すぐGoogleマップで近場のメンタルクリニックを検索し、次の休みに予約を取って行ってみよう、今すぐスマホで調べるんだ。

心が辛い人、本当の本当にメンタルクリニックはオススメだ。

抵抗がある人でも大丈夫、利用していることなんて誰にも言わなければいい。

是非利用してみて欲しい。

貴方は絶対に気持ちが楽になる、相手はプロだからな。

今日、会社を辞める

「それが出来りゃ苦労しねえんだよ」という声が聞こえてきそうだ。

誤解を恐れず言うなら、「苦労してでもいいから、今すぐ会社辞めて欲しい」だ。

会社を辞める、今の日本ではまるで犯罪のように悪いことのようにのさばっているのが悲しい。

無責任に会社辞めて路頭に迷えと言っている訳では断じて無い。

・今辛くても、近い将来にそのストレスが無くなる明確なビジョンがある。

・仕事は慣れ。慣れによって苦痛が薄れていくと確信している。

上記のように確信したビジョンを持っている人は、今辛くても仕事を続けるべきだ。

継続は尊い行為であり、可能なら誰しもが望む方法だ。

でも、このように明確なビジョンを持てず、毎日がただただ辛いと感じる方には、退職を勧める。

こういう断定的な物言いが良く思われずに多くの反感を買ってしまう危険を孕んでいることは重々承知しているつもりだ。

でも、それでも言いたい。

辛かったら、今すぐ会社を辞めていい。

「貴方の辛い気持ちを楽にすること」以上に大切なことは、この世に無い。

無断退職かましたヤツのどの口が言うんだって感じだけど、ある意味そんな酷い経歴の俺だから言える。

貴方は今すぐ会社を辞められる、今すぐだ。

誤解を恐れずはっきり言うと、上記のような明確なビジョンを持っていなければ、貴方の苦しみは仕事を変えない限りずっと続く。

勿論全員がそうだと言うつもりはない。

強いメンタルの持ち主は逆境を跳ね除け、この先忍耐を続けることを選べるだろう。

だけど、俺はメンタルが弱かった。

そして、そういう人たちの味方でありたい。

・話しやすい上司に、相談と称して退職の意を伝える。

・メンタルクリニックで診断書を出して貰い、休職からの流れで退職する。

・退職代行サービスを利用する。

ざっと今考えたところ、具体的に実行しやすい方法だ。

特に3つ目の退職代行サービスをお勧めしたい。

退職の意思を会社に伝え諸々の手続きを代わりにやってくれると言う「退職代行」、なんてふざけた無責任なサービスだと思った人もいるかもしれない。

しかし、上司に一度も顔を合わせずに退職を可能にしてくれるこのサービスは年々恐ろしいほどに認知度が上がり、凄まじい需要から拡大の一途を辿っている。

最大のメリット

・会社の人と誰とも会わずに、退職が可能。

今では珍しくともなんともない。

現代社会のニーズに合わせた結果だろうが、今の日本がどこか歪んでいる証拠だと思う。

こういったサービスを利用することは恥でもなんでもない。

繰り返すが、貴方の辛い気持ちを楽にすることより大切なことはこの世に無い。

もしここまでの話を聞いて、退職の理由ではなく方法で引っかかっている人がいるならば、是非利用してみて欲しい。

この記事にアフィリエイトリンクは貼りたくない、「退職代行」でGoogle検索して欲しい。

仕事を辞めても、暫くの間は失業手当で食いつなげる、貴方に時間はある。

仕事を辞めることなんて、逃げでも恥でもなんでもない。

そういったネガティブな考えは親切な世間様が勝手に押し付けてくる、だから貴方自身はそんな風に思わないで欲しい。

むしろ貴方を助ける合理的で現実的な方法だ、貴方を助けられるのは貴方だけ。

大事なことだから何度でも言う。

貴方は仕事を辞められる、辞めていい。

まとめ

色々と好き勝手言ったが、どれも忖度無しの本音であることを誓っても良い。

難しいかもしれないけれど、どうすれば気持ちが楽になるかジタバタしてみて欲しい。

前述したけれど、相談は有効だ。

誰でも良い、友人でも家族でも、カウンセラーでも。

それすらも難しいなら俺でも全く構わない、ブログのコメントでもTwitterのDMでも良い、なんでも良い。

貴方はこれ以上無理に頑張る必要は無い、だってもう頑張ってるじゃん。

頑張りたいと腹の底で思う時まで、これ以上頑張らなくていい。

自分に優しくして、心の声を聞いてあげて欲しい。

甘えだとか現実逃避だとかと思う必要は無い、そんなのご親切な世間様の役目だ。

死にたいくらい辛い人は、今回紹介した4つの方法を非現実的だと切り捨てず、どうか試してみて欲しい。

貴方の気持ちは絶対に楽になる。

書き始めた時は夜中だったけど、今はもう日が差している。

一晩でこんなにたくさんの文章を書いたのは生まれて初めてだ。

文字ばかりで非常に読みづらい記事になってしまった。

とても疲れたけど、どれも本音で書いた。

文章の中に嘘の無い気持ちが入って血肉のある生きた言葉になっていたら、とても嬉しい。

そして、この話を最後まで聞いてくれた貴方の辛い気持ちが少しでも楽になっていたら、もっと嬉しい。

・下には下がいる。

・会社を休み、たっぷり眠る。

・誰かに相談する。

・メンタルクリニックを利用する。

・今日、会社を辞める。

まとまりの無い俺の話に、最後まで付き合ってくれてありがとう。

辛い人の心が少しでも楽になるよう、役に立ちたいです。

POSTED COMMENT

  1. びわ より:

    友人から教えてもらい、記事を読みました。

    軽症ながら不安障害と診断され、精神科に通い安定剤を服用しながら、未だ親に金銭援助をしてもらいつつ、フリーターとして働いています。毎日、劣等感と申し訳なさでいっぱいになります。

    ブラック企業に勤めたことはありませんが、長い貧困状態とそれに伴う精神不安が続いています。

    正社員雇用でない期間があまりに長く、自分は社会に必要とされていないのではという思いから、なかなか転職に踏み切れずにいました(過去に二度、転職に失敗)。

    今、転職支援のアドバイザーさん、精神科の先生とカウンセラーさんに支えられ、再び転職に挑戦しようとしています。

    まだまだ不安ばかりですが、しんたろさんの記事にチカラをいただきました。

    就職できて、金銭面が落ち着いたら、私も猫を飼いたいです。

    • しんたろ より:

      はじめまして、びわさん。
      コメントありがとうございます。

      文面から、必死に現状と戦い頑張っている気持ちが伝わって来ました。
      決してご無理をなさらず、自身の気持ち優先で活動して欲しいです。
      自身の気持ちの為に一時停止してお休みすることはとても大切です。

      本記事が僅かでも貴方のお役に立てたようで何よりです。
      今後も何かありましたら遠慮なくどうぞ。
      お互いのんびりいきましょう。

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