動物保護

動物保護業界は、勿体無いが多い話(後編)

昨日に引き続き、動物保護について話したいので、良かったら聞いてほしい。

動物保護や譲渡について関心のある人向けの話だ。

スペさんががどのようにしてウチに来てくれたか、ってとこからだ。

スペさんを保護してくれた人たち

ウチには、スペッキオという名前の猫がいる。

おれがどのようにしてスペさんと家族になったのかを、保護してくれた人たちに絡めて話したい。 

そもそもスペさんは、元保護猫だ。 

つまり、何らかの理由で野良猫になってしまった猫だ、ぶっちゃけ捨てられたのだ。 

シャム猫の血統が混血していたことや、ある程度人慣れしていたことから、飼われていた可能性がかなり高かった。

でも、捨てられて、そんで保護されたのだ。

まだ生まれて数ヶ月の子供なのにな。

簡潔に言うと、里親募集のインターネットのサイトでおれはスペさん(当時の名前は仮で「シャムちゃん」だった)の里親募集を知り、募集に応募したのだ。 

どんな気持ちでスペさんと家族になりたいと思ったのか、とか話しているといくら時間があっても足りないので、ここでは割愛する。 

ここで話したいことは、スペさんを保護してくれた保護主のことだ。 

結論から言えば、本当にありがたいことに素晴らしい保護主さまたちであったことを、強く明記する。

 

里親募集に応募したものの、おれは当時ビビりまくっていた。 

もうその時点で、保護動物の譲渡は厳しく、闇が多いことを知っていたからだ。 

おまけに、おれは今まで犬や猫を飼ったことはなかったし、一人暮らしだった。 

譲渡における悪条件が服を着て歩いているもんだから、色々言われて断られて嫌な気持ちになるんだろうな、と素人ながら怯えて諦めモードだったことを覚えている。 

しかし、結局はスペさんと家族になることができた。 

保護主の方の心遣いがあったからだ。 

保護主と言える人はふたりいて、一人は当時野良猫であったスペさんを発見保護し、Webサイトにて里親募集をかけてくれた人。 

もう一人は、里親が決まるまで実質的にスペさんを保護し、お世話をしてくれた人。 

何度か連絡を取り、実際にスペさんと保護主の方々に会いに行った。 

決して良い条件ではない里親候補のおれの話を真摯に聞いてくれて、そして真摯に話をしてくれた。 

頭ごなしに条件で突っぱねたりせずに、スペさんとおれの両方をしっかり見てくれたのだ。 

おれはスペさんと家族になれた。 

保護主の二人のおかげであることは言うまでもない。

 

俗っぽい言い方をすると、おれは大吉を引けたのだ。 

数多く存在する動物保護をしている人たちの中から特に素晴らしい人を選び、選ばれることができた。 

本当にラッキーだったし、ありがたいの一言に尽きる。 

いや、はっきり言わなきゃ。 

ありがとうございました。 

おかげでおれとスペさんは楽しくやっています。 

おれは大吉を引けたけど

本題からちょっと逸れてきたので、戻そう。 

保護主についておれは大吉を引けたが、多くの場合はそうではない。 

運が良かっただけで、大概は飼育経験なしの一人暮らしでは譲渡は難しいだろう。 

個人的な見解はここでは抑えておく、言いたいのは動物保護業界ではこれが常識と言って良いほどのレベルで浸透していると言うことだ。 

スペさんと家族になり、動物保護に関して勉強することが多くなった。 

動物保護団体に取材に行ったりもした。 

以前記事で紹介さて頂いた保護団体だ。 

この保護団体は、本当に柔軟かつしっかりした考えのもと活動されている団体だ。 

こういう人たちが増えていったら良いなって思う。 

だが、上記のリーフノットのような人たちばかりではない、当たり前だ。

 

動物保護のネガティブなところ

おれは素人なりに、いろんなところに取材に行き、「動物保護」についての現実を学んできたつもりだ。 

足を使って、団体だったり個人だったりの活動を取材してきた。 

ネットでの広報だったり、SNSでの活動や呼びかけだったり、を調査してきた。 

その上で言うが、やっぱりネガティブなことばかり目がいってしまう。 

取材をめちゃくちゃぞんざいに断られたり。 

〇〇だから、絶対に××なんだ!みたいに自分の正義を妄信していたり。 

動物の譲渡なのに、お互いしか「人間」しか見ていなかったり。 

譲渡するされるのは人間なのに、譲渡される「動物」しか見てなかったり。 

保護主や譲渡先の人間の、人間性が良くないという意見を耳がタコになるほど耳に入ってくるが、おれはそうは思わない。 

保護動物を譲渡する「システム」が雑で適当過ぎるのだと思う。 

よく聞く「保護主の態度が偉そう」という意見は、誤解を恐れず言えばある意味当然とも言える。 

何故なら、譲渡する側は分かりやすく優位な立場で、「猫の為にやっている」という大義があるからだ。 

どんなに謙虚な人でも審査員席に座れば態度が自然と大きくなってしまう、と言えばイメージしやすいだろうか? 

人間性は関係ない、そうさせてしまうシステムが良くないのだ。 

どんなに大人で優しくて器が大きな人物だったとしても「保護する猫の為にやっている」という「振り回しやすい大義名分」が態度を屈折させて相手に伝えてしまう。 

何度も繰り返し言うが、人間性はあまり関係ない。 

相手に横柄だと感じられるてしまうのは環境がそうさせているだけで、誤解と言ってもいい。 

でも、その誤解は相手にとっての真実でもあるのだ。 

おれはそれをとても勿体ないと思う。 

おれは動物保護活動をしたことがないので、どうしても里親寄りの意見になってしまいがちなので、なるべく客観的に話したい。 

保護主と里親の人間性は関係ないと言ったが、思うところはある。 

それは「狭い世界だけで生きているんだな、この人」 

こう感じることが非常に多かった。 

おれ自身にも強く言える部分だ。 

頭の固い柔軟性の欠けたおれには他人事とは思えなかった。 

こうなればいいな、と言う妄想

かなり言いたい放題言った。 

そろそろ、建設的にどう変化してほしいのか、というおれの妄想みたいな願望を話す。 

とにかく言いたいのは「どの立場でも、誤解が多く、勿体ない」ということだ。 

動物を保護することも、その保護動物と家族になることも、どちらも穢れのない尊い素晴らしいことだ。 

なのに、誤解が多い。 

特に「動物保護している人への誤解が強い」と思う。 

そんで、その誤解を助長している原因はたくさんあるけど、本人たちにもあることも事実だと思う。 

ほんとうに、勿体ない。 

身銭を切ってまで動物に愛を捧げている人までいるのに、誤解されるなんて。 

誤解誤解と連呼しているが、ごく一部の意見だということを留意して欲しい。 

逆もそうだ。 

保護動物を家族に迎えようと考えている人が、「責任なさそう、虐待しそう」とか誤解されてしまうのも勿体がなさすぎる。 

馬鹿らしい綺麗ごとだと流さずに、聞いて欲しい。 

「お互いがいる世界を想像して、お互いを配慮して欲しい」 

既にやっている、と思う方々がほとんどだろう。 

でも、今一度再び思って欲しい。 

そうすれば、保護主がどれだけその動物のことを大切に思っているか伝わるはずだ。 

里親希望者がどれだけ本気で新たな家族を迎え入れたいか伝わるはずだ。 

ちょっとで良いのだ、ちょっとで良い。 

まとめ

やれやれ。 

自分なりに言葉を選んで慎重に結論付けようと思っていたのに、いつもみたく変な形で不時着してしまった。 

だいぶ偉そうなことを書いた。 

動物保護においての関係者各位、気を悪くされた方もいるかもしれない、申し訳ない。

しかし、動物保護にまつわるすべてを悲観して否定する訳では断じて無いことを理解して欲しい。 

動物保護活動を行っている人は、団体だろうと個人だろうと規模の大きさに関係なく、ひとりのこらず本気で尊敬している。 

そんな保護動物を家族に迎え入れている人たちも、尊敬に値する。 

ペットショップで家族を見つけた人たちも何ら遜色はない。 

みんな素晴らしいと思う。 

おれたちはもう少し同族意識を強く持ってお互いを認めた方が絶対に風通しは良くなると思うんだ。 

そもそもおれたちは「動物を愛している」という素敵な共通項があるんだから、そんなに難しいことではないはずだよな。 

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